目指せ合格! 予備校比較

森塾

なお、2006年12月1日現在での弁護士会登録人数は23,000名余りに過ぎないが、司法書士等の隣接法律関連資格者数も広義の法曹に含めるべきであるとの意見も根強い。欧米諸国では司法書士等にあたる者はNotaryやSolicitorとして広義の法曹として扱われており、日本の弁護士の業務は英国等における狭義の「法廷弁護士」(バリシター)が担当する業務に相当することが多いためである。 また、法科大学院制度は、司法制度改革と法曹養成制度に関する多くの意見は省みられることなく導入ありきの姿勢だったとの批判がある。そもそも法科大学院の設置目的が大学の新たな利権の確保ではなかったのかともいわれている]。法科大学院導入が決定された当初、新司法試験の合格者は、修了者の7〜8割になると言われていた。これは、司法試験制度改革審議会意見書において「法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7〜8割)の者が新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきである。」との意見が盛り込まれたことに基づいている[3]。 しかし、司法制度改革審議会のエステサロン では、各大学の要望として「7割とか8割ということが多い」が、「どの大学も7割、8割ということは制度設計としてはあり得ない」とされている[4]。法科大学院の定員と新司法試験の合格者数から単純計算しても、そのような高い合格率にならないことは明白であった。合格率が5割を下回るのは明らかであるし、不合格となっても3回まで受験できることを考えると2割を下回るとする試算もある。 このような新司法試験の合格率の試算などから、「才能ある人材を引き付けるには余りにもリスクが大きく、新たな法曹養成制度の中核と位置付けられた法科大学院制度を崩壊させかねない」との声明が法科大学院関係者有志(教授代表者等)からなされた[5]。また、一部の法科大学院教員の間では、「新司法試験が過酷な競争試験となり予備校に行かなければ合格できないという点で現在の司法試験と変わらないものになる」という声も出ている。 当初喧伝された合格率を見込んで、企業を退職して司法試験にかける社会人入学生も少なくなかったため、合格率が想定より低い現状は、こうした社会人学生の間に人生設計そのものへの不安を広げている。なお、2006年(平成18年)に行われた第1回の新司法試験の合格率は、48.35%、2007年の第2回の合格率は、40.18%であった(詳細は、新司法試験の項目の該当節参照)。 従来、法学部では実務教育が全く行われてこなかったため、司法試験に合格しても、司法研修所で再教育をしなければならなかった。それを改め、理論と実務の統合を図るために、法科大学院をつくったのであるが、現状は、理論は研究者、実務は実務家と分断されたままである。しかも、新・司法試験は相変わらず判例や法解釈が中心なので、予備校に頼る学生は少なくない[要出典]。 また、法科大学院は、旧司法試験合格者の輩出がない又は極端に少ない大学にも設置されており、法科大学院の法曹教育機関としての能力を疑問視する声も一部ある[要出典]。前述の「次世代法曹教育の調査研究とフォーラム」においては、司法研修所教官経験者から、「大学は司法試験予備校に教育において負けた」が、「その点を大学人は見ようとしないし認めようとしない、そこに大きな問題がある」との指摘がなされた[2]。 実際、既に新60期修習生が修習を行っているが、レーシック 制度の修習生について指摘されていたマニュアル指向・正解指向等の問題点が改善されていない[要出典]。また、ロースクールにおける要件事実教育については旧制度の前期修習終了時程度の学力の習得が図られるはずであったが、新60期修習生には特別に司法研修所において導入研修が行われたにもかかわらず、十分な学力を有する者は少ない[要出典]。実務家からは法科大学院制度は法曹を目指す者に時間と金銭の浪費を強いるものであるという感想も出ている[要出典]。 法科大学院の学費は極めて高額であり、国立大学の学部時代の授業料より高いため、経済的事情により進学の機会平等が阻害される危険がある。中央大学商学部教授で司法制度改革審議会の審議委員だった北村敬子は「これからの時代の高等教育制度の下で、経済的事情で、例えば大学あるいは大学院に進学できないという状況に追い込まれる人というのは、そんなにたくさんいるんだろうかと考えると、まず社会的な発展段階から考えてそんなにいるはずがない」と審議会において述べており[6]、一部には学費が免除になる法科大学院(青山学院大学法科大学院の法学既習者コースなど)も登場してきているが、外車1台分に匹敵する学費の他にも法科大学院進学に際しての機会費用(受験料、予備校代、書籍費、交通費など)も考慮すべきであり、ある程度の経済的余裕がないと進学できないことは事実で、財力のない者を法曹界から遠ざけていることは美容整形 できない(毎日新聞2008年9月10日)。このため、公認会計士試験のように、誰でも受験できた旧司法試験の合格者を拡大する方向で試験改革を行うべきであったという意見もある[要出典]。 旧司法試験による法曹養成システムと比較しても、法科大学院の期間について、法曹資格を取得するまでの年限が長くなっていることから、資格取得期間の短縮を求める意見が日本経団連などから提示されている[7]。 日本の法科大学院の課程を修了すれば「法務博士(専門職)」の学位が得られる。これは米国のJDをそのまま訳したものである。しかし、日本と米国の国情の違いからこの学位を名ばかりのものと指摘の声もある[要出典]。 「過疎地への法曹の供給」ということが、この法科大学院の理念の1つであったはずであるが、実際は関東圏・関西圏に法科大学院が集中している。これは当初の理念を歪めかねないものである。しかし、人口の多いところに教育機関が多く設置されるのは当然予想されたことではある。 2005年度入試においては入学者が定員割れとなる大学院が散見された。もっとも、応募人数は募集定員を上回っている。 アメリカにおいてはロースクールの修了後(司法試験は各州毎に行われ、ばらつきはあるものの)概ね7割程度の合格率が確保される[8]。それに対し、日本では法科大学院の課程を修了した者の半数以上が司法試験に合格できないシステムとなっている。 アメリカでは学部段階に法学部が存在せず、法学教育は専門職大学院である視力回復 のみで行われている。これに対して、日本の法科大学院に進学する者は学部段階で法学部を卒業している者が大半(入学者全体の73.9%(平成19年度)・71.7%(平成18年度))であり[9]、日本の制度では、法学部で学んだことを前提とすると、学部段階で4年間、法科大学院で2年(既修者コース進学の場合)、司法研修所で1年間の教育を受けて、初めて法曹となれる制度となっており、アメリカにおける一般的な法曹養成コースであるJD取得過程の期間が3年間であることに比べると長い。しかし、成文法国における法曹教育には判例法国のそれに比べて時間がかかるとの指摘もあり、一概には比較できないとも言えよう[要出典]。 税理士試験と同じく、法科大学院に行く資力のある家系の子女が合格者の大半を占める恐れがあり、結果、一部の者しか法曹になれないという事態も発生しうる。 新司法試験に不合格となった場合、30歳前後の年齢で無職・職歴なしとなるが、セーフティーネットは考慮されていない[要出典]。 法科大学院制度や司法試験制度をめぐって、各界各層から様々な意見が出されている。主な意見として次のようなものがある。 国民権利意識の向上など格差拡大により消費者訴訟の労働裁判、住民訴訟などが増加傾向にあり、弁護士を増やす必要がある[要出典]。 旧司法試験の試験勉強で学ぶ知識が弁護士業務ですべて生かせるわけではなく、また、弁護士業務で必要となる知識経験が試験勉強で取得できるわけでもない。試験に受かるスキルと弁護士が有すべきスキルは別物である。ペーパ試験でのみ弁護士となる者を取捨選択するより、弁護士の裾野を拡げ、弁護士間の競争を促進したほうが、結果的に国民が安価で良質な法サービスを受け得ることにつながる。 価値観の多様化や個人の権利意識の拡大、インターネットの出現などにより、私人間の紛争は昔に比べて増えているのに、現在(弁護士の大幅な増員前)は、弁護士が少なすぎて雑多な事件は弁護士に引き受けてもらえない。また、それを踏まえて現在の日本の法実務におけるいわゆる「慰謝料相場」は欧米のそれと比較してかなり低額である。これでは実力行使をする人間や、権力を行使しうる立場にある人間にとって「やり得」な世の中であり、貧乏人が泣き寝入りしている。弁護士数が増加するとこの状態の改善が期待できる[要出典]。 弁護士増員により、訴訟社会が進展する可能性についての賛否両論。経済・文科のグローバル化に伴い、日本でも格差社会が進展しているという観点からは、フェアネスを実現する手段としての訴訟社会の進展はむしろ望ましいという考えと、訴訟社会は弁護士が儲かる(弁護士の仕事が増える)だけで国民や経済のためにはならないとする考え。