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さらに次項で説明するように、同一学問系内でも論理を基底に据えるか経験を基底に据えるかによって立場が大きく異なる場合もある。 数学と物理学はそれぞれ同じ理系に分類されるのが一般的認識だが、前者は公準と論理によって構築される形式科学 (formal science) に属するのに対し、後者は自然現象の観察という経験を通して構築される経験科学 (empirical science) に属する。数学は算術や天文学に端を発する経験科学という印象を持たれがちだが、実際は自然界に存在し得ないものも表現しうる高度に形而上的な体系となっている。一方、物理学は数学と密接な関係にはあるものの、あくまでも自然界に存在するもの、経験に重きが置かれ、事象が説明できれば数学的に厳密な証明を要さない場合も少なくない。つまり両者は密接な関係にありながら、立場や観点、方法論は大きく異なる。 同様に文系における哲学・論理学と社会科学・言語学においても、一方が論理と証明を基底とし、他方が経験と実証を基底とする点においては数学と物理学に似た関係性が見られる。 生徒や学生の気質について「理系は理詰めで厳密さを求めるが社会性には乏しく、文系はその逆」というイメージを持つ者が散見される。同様の類型化に「理学や哲学等の基礎学系は理論や手続き重視で理屈っぽく、工学や医学や社会科学等の応用学系は結果重視で必ずしも厳密さを求めない」であるとか、「経済学専攻の人間は社会性があってつきあいやすいが、理工系は堅苦しい人間の集まり」というようなものがある。 しかし、この手のステレオタイプなイメージのほとんどがそうであるように、上記の論も統計にもとづいた科学的根拠が提示された事例がなく、また「理詰め」「理屈っぽい」「社交的」などという曖昧で連続性の誤謬をもつ表現による非論理的な物が多く、実相を表しているとは到底言い難い。結局の所、気質や性格は個人的差異による大きな幅があり、画一的な見方が当て嵌まることは少ない。 一方で諸学問の内、実験を重視する学問はそうでない学問に比べて必然的に拘束時間が長く、結果プライベートな目的に用いることができる時間が少ないという事 実も確かに存在し、それが本人の対人関係に影響を与えることがある側面も無視はできない。しかし全ての理系学問が実験を主体としている訳ではないことを留 意する必要がある。 小学校高学年からFX にかけて、男の子は算数(数学)・理科が、女の子は英語・国語が得意、あるいは好きだとするイメージがある。この傾向から大学進学時に女生徒で理系進学を志望すると「珍しい」と評されることがある[2][3] 日本の政党では自民党と公明党に文系出身者が多く、民主党と共産党と社民党に理系出身者が多い。また、中国共産党の執行部は理系出身者で占められている[4]が、創始者達(毛沢東、李大サ、陳独秀ら)は社会科学系(文系)であった。 文系と理系(ぶんけいとりけい)とは、学問(学習・教育・研究などを含む)に対しての日本などにおける大まかな分類方法の1つのことである。文系とは、主に人間の活動を研究の対象とする学問の系統のことであり、理系とは、主に自然界を研究の対象とする学問の系統のことである。 日本においては、第2次・高等学校令(大正7年勅令第389号)の第8条に「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」(原文は片仮名)という規定があった。明治中期から第二次世界大戦降伏前は、旧制高等学校は、旧制大学で教育を受けるための準備教育を行う場としての位置づけが大きかった。高等学校の高等科においては、学修する外国語(英語およびドイツ語が大半)によって、「文科甲類」「文科乙類」「理科甲類」「理科乙類」などに分け、「文科」「理科」のどちらで学んだのか、学んだ外国語は何であったかによって、旧制大学で学ぶ専攻分野を大きく左右した。 近代の日本において、大学教育に対する準備教育の課程を「文科」と「理科」に区分したことは、現代における文系と理系の区分に事実上引き継がれている。旧制高等学校の区分けを受けて、現代における文系を文科系(ぶんかけい)と理系を理科系(りかけい)と呼ぶこともある。「系」の語が付与されているのは、「文科」「理科」という学科組織に基づく分類によっていないからである。(なお、現代においても「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」に「理数科」という学科があり、この場合、「理数科」を卒業した場合は、「理数科卒業」となる。ただし、文系の学部・学科・課程への入学制限は、一切ない。) 現代においても研究の最初の入り口である大学において、文系的と考えられている学問を専攻する学部・学科・課程と、または理系的と考えられている学問を専攻する学部・学科・課程とで、区分を異にした募集を行い、入学試験において異なった科目を課すことが多い。例えば、東京大学(旧制・第一高等学校および旧制・東京帝国大学の後身)においては、(新)入学者の募集区分が「文科一類」「文科二類」「文科三類」「理科一類」「理科二類」「不動産 」となっていて、すべてに「文科」と「理科」の語がついている。このように「文科」「理科」を冠して(新)入学者を募集する例は少なくなっているものの、21世紀を迎えても、日本国内の大学には、「文系の(新)入学者選抜」「理系の(新)入学者選抜」が少なからず存在している。(なお、一部の大学の学部・学科・課程においては、文系・理系の枠を外した総合的な入学者選抜を行い始めている。) このような事情もあって、「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」などにおいて、大学進学を希望する生徒が科目を履修する際には、大学の入学者選抜に対応するために、生徒の希望学部・学科・課程に応じて、生徒の履修科目が文系的・理系的になるように、教員や保護者が指導することが慣習化し、学習塾もこれを受けた事業を展開している。 「高等学校」や「中等教育学校の後期課程」などにおける指導の延長から、便宜的に文系(ぶんけい)と理系(りけい)のどちらかに大学教育の内容を分ける習慣がある。二つを合わせて文理(ぶんり)と呼ばれることもある。文系とは主に、人間の行動や思考が何らかの形で関わった現象についての学問とされ、文献などの個別対象や思想などの概念対象を解釈する人文科学と、社会現象や制度を歴史的、思想的もしくは実証的に解釈する社会科学などが当てはめられる。理系とは人間そのものと人間を取り巻く自然全般を、当為的かつ実証的に研究する学問とされ、自然科学などが当てはめられる。 しかしながら文系と理系は、外為 の視点から見れば、歴史的な事情によって形成された便宜的な分類である。実際に事物を深く学修・研究しようとすると、文系と理系という二者択一の区分法に、限界が見て取られることは多い。西洋においては、学問分野は、伝統的に自然科学・人文科学・社会科学の3つに分類されており、また、この3分類以外の分類も多く見られる。 日本では、文系・理系という見方が高等学校の段階で厳密に区別されてしまうことが多いため、学部ごとにある特定分野の知識について社会化された学生が集まってしまい、大学受験以降にて広く学問や社会を見渡すような視点を促す教育・研究活動につなげにくいといった批判がある。特に私立大学の入学試験においては科目数の少なさから、(経済学部などの例外を除けば)理系科目と文系科目が完全に切り離されることも多く、いわゆる学力低下問題と絡んで私立大学の入試科目が批判の対象となることも少なくない。現在、文系の方が理系よりも学生の数が多い。 また技術系の最高資格である技術士一次試験での共通科目においての受験免除の条件の一つとして理系の大学卒が挙げられていたり、過去には太平洋戦争末期に行われた学徒出陣において、理系学生が技術要員として徴兵猶予が継続された一方、文科系学生は士官候補生として動員されるなどの事例も理系学生と文系学生とで持つ知識に偏りや隔たりが生じている証左と言えよう。